Page18 –「2020年8月2日(日)」


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団長の独り言 2020.08.02

2020年8月2日(日)

私は熱烈なる相撲ファンって
ほどではないけれど、
それでも場所中ともなれば、最低でも
三役の取り組みの結果は気にしてしまう。
時間がある時、
相撲中継はリアルタイムで観ているしね。

その平野恒雄が小学4年生の時、
昼休みになるとクラスメート達と
相撲ごっこ大会をしていた。

場所は、
新校舎1階にある4年5組の教室の外で、
窓側のベランダ?というか・・・
裏庭らしきものと教室を繋ぐ小上がりの上。

幅が狭く、丸い土俵なんて
描けるスペースはなかったけれど、
そんな僅かな幅しかない場所で、
横綱・大関・関脇・小結・前頭・・等
ちゃんと決めて、強い奴が
昇進していくという「真剣勝負」を繰り広げ、
当時、室谷君が横綱の地位に君臨していた。

彼はさほど大きくなかったけれど、
なんだか知らないけれど
色々な技を持っていたので、
めっぽう強かった。

私はといえば、小学校1年生の時から
柔道を習っていたので、
まぁー何もしていない奴よりも、
多少は有利だったと思うけれど、
何せやせっぽっちだったので、
私の位は小結だった気がする。

とりあえず三役に入っていたけれど、
前頭が一番下でその次が小結だから、
勝負に勝てばすぐ三役になれた。

結構盛り上がっていたのだが、
ある日の事、私は横綱・室谷と対戦し、
横綱の押しをギリギリまで堪え、
土俵際に追い込まれたので、
横綱の腰に手を回し、
下手投げを打とうとしたが、
そのまま押し込まれそうになったので、
のけぞりながら腰をひねって、
横綱を投げ飛ばそうとした瞬間!
私はバランスを崩し、
小上がりの角に後頭部を打ち付け、
気絶してしまった。

すぐに目を覚ましたのだが、
打ちどころが打ちどころで
気絶をしてしまったものだから、
大騒ぎとなり、私は保健室で搬送される。

その事は担任の先生にばれてしまい、
以降、昼休みの相撲大会は禁止となる。

軍配は私に上がったそうだ。
せっかく横綱を破ったのに、
相撲大会が中止だなんて・・・

今じゃーいい思い出だけど、
あの時はみんなに申し訳ない気持ちと、
悔しい気持ちでいっぱいだったなぁ。

その後、相撲はもっぱら観る専門で、
贔屓の力士を応援してきたが、
今日の照ノ富士と御嶽海の取り組みは、
このコロナ、コロナで鬱屈した気持ちを
スカッとさせてくれた一番だったなぁ。

取り組み自体は、
そんな大勝負ってほどのものじゃないのだが、
照ノ富士が自力優勝したって事に感動し、
いつまでもいつまでもテレビの前で
「よくやったぁ!」
って大声で叫びながら
ずーっと拍手を送っていた。

照ノ富士という関取は、
平成23年初土俵以来、破竹の勢いで
あっという間に大関にまでのし上がり、
横綱昇進も時間の問題!と言われていた矢先、
怪我につぐ怪我に泣かされ、番付がどんどん落ち、
序二段というとてつもなく位の低い、
給料の出ない番付にまで落っこちてしまう・・・。
(因みに大関の月給は約250万円)

大関経験者が序二段にまで落ちて
相撲を取るというのは、かなり屈辱的な事。

さすがに「もう辞めたい」って
照ノ富士は思ったそうだが、
師匠に励まされ、
そこから怪我を克服しつつ、
コツコツと努力を積み重ね、
今場所、
約2年ぶりに幕内に戻ってきたかと思いきや、
なんと!幕内優勝までしてしまったんだから、
これは本当にすごい事。

普通の力士ならば、
あそこまで落ちればもう引退をしている。

彼が優勝を決めたあとの
インタビューでこう言っていた。

「続けてきてよかった」
「最後にこうして笑える日が来ると
信じてやってきた」
「一生懸命やったらいい事があると思った」

と・・・。

今、コロナ禍の中、劇団活動がストップして、
このまま先が見えない状況で気持ちが
萎えかけていただけに、
照ノ富士の「続けてきてよかった」って言葉は、
すごく胸に染み入った。

劇団ふぁんハウスは設立22年目。

「続けてきてよかった」
「一生懸命やったらいい事がある」

って言えるように今は踏ん張らねば!

照ノ富士から勇気をいただいた
団長でありました。