Page27 –「京子と恵子」(小山恵子の独り言)


8月7日(木) 「京子と恵子」(小山恵子の独り言)

「団長の独り言」をご愛読のみなさま、
小山恵子です。

おかげさまで、第26回公演
「夢のカーテンコール」は
大成功を収めることができました。

さて、
「カーテンコール」という作品ですが、
ふぁんハウスの歴史を語るうえで、
必ずと言っていいほど話題になる作品で、
ふぁんハウスに入団してから、
思い出話を聞く機会が何度かあり、
どんどんと想像が膨らむ一方でした。

そんな
「カーテンコール」シリーズ第3弾として、
新たに書き上げた「夢のカーテンコール」の
台本を初めて手にして
読んだ時すごく感じたのは、
私自身が経験してきた事が、
セリフになっているところが多くて、
心の深いところを少しずつ広げられ、
さらけ出されていくようで、
息苦しさを感じてしまう
ところもありました。

私の昔話で恐縮ですが・・・
20代の前半で、私は早くも
芝居の道をあきらめました。

そこで私は、

「目的もないまま、
アルバイトを続けている人達と私は違う!」

とばかりに、専門知識も何もないまま、
コンピューター会社の正社員となり、
すっかり堅気になったと
思い込んでいたものの、
趣味はコンピューターゲームという
社員とは話がまったく合わず、

仕事が高度になっていくと、
頑張ってもどうにもならなくなり、
いつしか食欲不振で体重は減り、
私が芝居を辞めて喜んでいた父も
見るに見かねて、

「人には向き不向きがある。
時には諦めも必要だ」

と言う言葉を私に言いながら、
新聞の切り抜きをくれました。

それは、
『開港当時の衣裳を着て
歌ったり踊ったりしませんか?』

という横浜市が主催する
横浜博覧会でのパビリオンの募集記事。

あんなに芝居をやることに
反対していた父の薦めであればと、
オーディションを受けたら合格。

研修では、歌と踊りの稽古、
そして接客接遇の訓練をしました。

5日間出勤して1日お休みのシフトで、
191日間、無遅刻、無欠勤で
開催期間を務めきりました。

開港当時流行った歌や踊りを表現して、
笑顔でお客様と接すことによって、
ようやく自分らしさを取り戻して、
元気になることができました。

その私が演じた野崎京子は、

「バイトながらも店長という立場から、
近々、正社員になる」

と、
得意げに言っているシーンなど、
昔の私そのもの!

正社員という安定した生活をすることで、
自分自身を納得させようとしています。

台本を何度も読むうちに
昔の自分を思い出し、

無理をしていた頃の自分の気持ちを
正直に認めて行くうちに、

シーン16の住道さんや有紀ちゃんのセリフが
心にストレートに飛び込んでくるようになり、
自分のセリフの時に、
涙声になるのをこらえるのが大変でした。

そういえば今回の公演で、
転換スタッフを初めて経験しました。
とにかく、
役者で舞台に出ている時以上に
緊張していました。

稽古場の時とは全く違い、
暗転の中、物音をたてずに
スムーズな動きをすることにてこずり、
何度も舞台稽古して本番を重ね、
やっと納得がいく動きができるように
なったと思ったら、
公演は終わってしまいました。

転換スタッフは
舞台上のことばかりではなく、
舞台裏のレイアウト等も考えて、
ストーリーの流れによって
動きも変わるという、
非常に細やかな気遣いが
必要であることを、
身をもって感じました。

毎回、転換スタッフとして
協力してくださっている出口朋佳さんに、
おまかせ状態でずっとやってきた
自分が恥ずかしいです。

舞台上での役者のことを常に考えて、
転換をやってくださっていた
彼女に改めて感謝します。

そんな様々な経験のできた
「夢のカーテンコール」の終演後、
観にきていただいた方からの感想で、

「感動したのはもちろんだけど、
普通の舞台を観た時とは違って、
出演者や舞台を作っている人達の
一体感があって、エネルギーが伝わってきた。
こういう劇団って今、ないんじゃないか?」

という大変嬉しい言葉をいただいて、
劇団ふぁんハウスの世界を、
芝居を通してお伝えすることが
できたと思い、安心しました。

心の豊かさを感じて、
生きていける劇団ふぁんハウス。
大切にしていきたいと思います。

これからも
大勢のお客様に笑顔で会えるよう、
皆で力を合わせて突き進んでいきます。

今後とも劇団ふぁんハウスを、
何卒よろしくお願い申し上げます。