Page28 –「笑顔で千秋楽を迎えるために」(鈴木千秋の独り言) 


8月10日(日)「笑顔で千秋楽を迎えるために」(鈴木千秋の独り言) 

「団長の独り言」をご覧の皆さま、
暑さの厳しい夏を
いかがお過ごしでしょうか?

代表の平野に代わり、
鈴木千秋が今週の
独り言を担当いたします。

先週の恵ちゃん(小山恵子)の
独り言では、恵ちゃん自身の
「カーテンコール」への思いが
語られていました。

実は私にもこの作品には
特別な思い入れがあります。

「カーテンコール」の初演は
第3回公演なのですが、
私は、再演の第10回記念公演から、
劇団ふぁんハウスに参加したのです。

だから私は、約9年前の5月に
劇団ふぁんハウス公演に初めて
出演した作品に、
再び出演できることになったのです。

私と「劇団ふぁんハウス」との
出会いは10年前、友人に誘われ
第9回公演「ざ・クリーンキーパー」を
観たことに遡ります。

なんの情報も持たないまま
初めて観る劇団でしたが、
オープニングのアマティーの
演奏に感動し、涙があふれ出て
(同じ経験をした方は多いのでは
ないでしょうか?)

いつしか舞台で演じる皆さんの
熱いエネルギーにも引き込まれ、
笑い、涙を流し、拍手を送っていました。

観劇から数か月後、
「稽古見学に来ませんか?」
というお誘いを受け、稽古見学をして、
稽古終了後、
居酒屋でみんなと楽しく語らい、
その日はそれで帰宅したのですが、

数日後、
「やって欲しい役がある」

という連絡があり、
翌日、稽古場とは別室で、
緊張感漂う中オーディションを受け、
あれよあれよという間に
「有紀」を演じることが決まりました。

ほぼ芝居が出来上がっている座組に、
途中参加で入ることになったものですから、
とにかくその時は、
無我夢中で役の人物になること、
そしてチームワークで芝居を作る
劇団ふぁんハウスの一員になることに
努めました。

今だから言える話ですが、
その当時は、歌のほかにダンスもあり、
積極的に自主練習をやろうと
皆に声をかけていました。

その矢先の出来事です。
まだ雪の残る3月、
自分の不注意から駅前で
階段を踏み外して転倒、
足を強打し肉離れ、
ギプスをしての生活を余儀なくされ、
泣きながら団長に電話したことを
覚えています。

思うように踊れない悔しさと
申し訳なさで責任を感じていましたが、
とにかくこのことで後れをとらないように、
稽古に穴を空けず、ギプスをしたまま、
できる限り動き回り、ダンスにも加わり、
ケガの回復を待ちました。

幸いケガも回復をして、なんとか
無事に本番を務めることができました。

その当時から劇団ふぁんハウスでは、
新作と再演作品を交互に上演しては
いたのですが、
まさかその「カーテンコール」の
再々演があるとは夢にも思っておらず、
リニューアル版の発表に、驚きと嬉しさと、
入り交じる中、より良い作品にしたいという
強い思いを持ち、今作品に臨みました。

平野作品の登場人物はどれも魅力的で、
どの役も輝かせたいという
団長の想いがあって、光を当てられた
シーンというのが必ずあり、
やりがいのある役ばかりです。

そんな中、有難いことに
私は9年前と同じ「津田有紀」という、
思い入れの強い役を
いただくことができました。

当時の有紀は30歳の設定で、
男勝りでとにかく元気、
力強さが印象的な役でした。

あれから9年経ち、お父さん役も
団長から番松さん(番藤松五郎)に代わり、
有紀の年齢も34歳になりました。

今回も元気いっぱいな役で
あることは変わりませんが、

最後の最後まで、
人間的な深み・厚みを出すことが
課題で取り組んできました。

お客様から、毎回ふぁんハウスは
パワーアップしているけれど、
今回は特に圧倒的なパワーを感じた!と
有難い感想をいただきました。

今では、劇団ふぁんハウスの中でも
古株となり、劇団の重責を担う立場と
なりましたが、10年前、初めて
ふぁんハウスの感動と出会った
気持ちを忘れず、もっともっと
「いい劇団」にするためにも、
終演後のお客様の笑顔を励みに、
しっかりと前を向いて
劇団ふぁんハウスとともに
歩んでいきたいと思います。

ご来場、応援してくださった皆様、
関係者の皆様、
本当にありがとうございました。

それでは、私が9年前に
公演を終えて書いた日記の
末尾の文で締めます。

「これからも劇団ふぁんハウスを
どうぞ宜しくお願いいたします!!」